3月の花いっぱい大会の後から全く書いてなかったですね〜
まあ書けなかったというのが正直なところですが、、、
あれから
舞のダンス発表会の手伝いで東京に行って、帰ってすぐ大阪に布の買い出しにサチカたちと行こうと日々目まぐるしく動いていた4月14日
大阪に行く前に立ち寄り母の顔でもと、、本当にいつもと同じようにおはよう〜 お母ちゃーん〜 声をかけたのですが母は安らかな顔で亡くなっていました
後悔しないように「親活じゃあ」と父が亡くなってから家と実家の行き来をし,それが全く苦痛でもなく母との時間が楽しく、今さらだけど
私が母を支えていたんじゃなく、母が私を支えてくれていたんだといなくなって気がついた愚かな娘です
いろんなことを教えてもらい励ましてもらい、勇気づけてくれ、綺麗なまま元気なまま逝きました
満中陰をすませて、今は実家に神戸の兄夫婦がきてくれています。弟は梅作業の真っ最中、、私もいつものペースで実家にこれからも行こうと、、、それは自分のために
まだなかなか母の話はできないけれど
ダンスがあって、仲間がいて、友がいて、家族がいてくれていることがどれほど救われているのか思い知った2ヶ月間でした
想いは言葉にならないことをやっと知りました
今日も頭悩ませながら夏公演の準備に追われていることに感謝しよう
追伸
山野のお母さんと母は「周ちゃん」「重ちゃん」と気の合う友達でした。周子さんは母の亡くなる前日に息を引き取ったそうです。 合掌